Q4-1. 関東大震災時の朝鮮人虐殺は、震災の混乱のなかで起きてしまったものではないのですか?
A.朝鮮人に対する虐殺や迫害は、関東大震災後も今日に至るまでくり返されることになります。震災後の1925年10月には、小樽高商の軍事教練で、無政府主義団、「不逞鮮人」が暴動を起こすといった想定文が作られ、これに在日朝鮮人が「吾々には一昨年震災当時の記憶が猶鮮である」と抗議する事件が起きます。
また、1926年1月、三重県木本町のトンネル工事現場において、朝鮮人労働者2名が、頸部を刀で切られ、射殺されました(木本事件)。この事件も、「朝鮮人による暴動」という流言飛語を恐れた日本人が引き起こしたものであり、自警団も組織されました。1932年5月には岩手県の鉄道工事現場にて、朝鮮人3名が虐殺され、数十名の負傷者をだすといった虐殺事件も起きました(矢作事件)。
このように朝鮮人に対する迫害・虐殺は、震災時の混乱のさなかに起こった偶発的なものではなく、日本帝国主義が他民族を支配する植民地支配の過程でくり返されてきたものでした。