Q2.朝鮮人虐殺の歴史的背景(4)

A.1919年3月1日に始まり朝鮮全土、日本国内、世界各国で展開した三・一運動は日本の支配者に衝撃を与えました。三・一運動以前から在日朝鮮人運動を担った朝鮮人留学生の活動はより一層活発になり、中には、日本政府の監視・統制を撥ね退けるため留学生監督部寄宿舎から脱退する者や母国へ行き独立演説する者、在日朝鮮人労働者の中に入って独立運動の民衆化を図る者もいました。三・一運動後の在日朝鮮人運動の特徴は、社会主義運動、労働者の運動が強まり、特に中津川朝鮮人虐殺事件以後、日本人社会主義者との間で連帯指向が発生したことでした。

 警視庁は、両者の間で連携が生まれ、「植民地の解放」が第四回メーデー(1923年)のスローガンの一つとして掲げられようとしたことに警戒を抱き大弾圧を加えました。このような大弾圧が関東大震災時における朝鮮人と日本人社会主義者に対する虐殺の前史となりました。

※中津川朝鮮人虐殺事件
 1922年夏、新潟県中津川上流において建設中だった水力発電所の工事現場で奴隷労働を強いられた朝鮮人労働者が虐殺される事件が発生しました。800名以上いたとされる朝鮮人労働者のうち100名程の虐殺を含む犠牲者がいたという証言が残されています。