Q2.朝鮮人虐殺の歴史的背景(2)

A.虐殺を正当化する意識、朝鮮人を殺してもかまわないという「不逞鮮人」観は日本の侵略・植民地支配の過程で強化されていきます。朝鮮植民地化と戦った義兵戦争の時期に、日本の新聞は朝鮮を野蛮・事大主義などと称する蔑視論・朝鮮支配正当化論を展開し、徐々に「不逞鮮人」観、「暴徒殲滅論」を支持するようになります。

 三・一運動の時期以降の新聞でも、独立運動に対して陰謀、暗殺、放火、強盗といったレッテル貼りが顕在化します。たとえば、「朝鮮独立運動の陰謀」(『読売新聞』1919年11月28日付)、 「不逞鮮人が独立陰謀の顛末 暗殺放火強盗を恣にす」(同1920年8月18日付)などです。

 こうして朝鮮での植民地戦争に直接参加した軍人だけでなく、報道機関などを通じて一般庶民の中にも「不逞鮮人」観が芽生え始め、これが後の関東大震災における官民一体の朝鮮人虐殺へと繋がることになりました。