Q1-3. 日本人民衆は虐殺をどのように考えたのですか?
A.日本人民衆は、朝鮮人「暴動」のデマに接すると、とても迅速に多くの自警団を組織・強化し、虐殺を行います。多くの日本人民衆が虐殺に加担した原因は、朝鮮に対する敵視、民族差別意識、「不逞鮮人」観があり、また「お上の言うことにはまちがいはない」と考え、国家と幻想的な一体感をもつ強力な国家意識がありました。さらに「町のため村のため」といった町村共同体意識も虐殺と関係していました。
朝鮮植民地支配の下で、朝鮮人虐殺を合理化、正当化する日本人民衆たちの心理は虐殺を一層、大規模で、凄惨なものとしたのでした。
朝鮮人を虐殺した自警団、民衆がその責任と正しく向き合うことはありませんでした。たとえば、虐殺直後の1923年10月に結成された関東自警同盟は、朝鮮人「暴動」は事実であると認定した上で、「鮮人襲来の虞(おそ)れあり。男子は武装せよ。…鮮人と見れば倒しても差支えない」などと官憲が触れ回ったにもかかわらず、その責任を国家が自警団に負わせようとしていると主張しました。さらに「自警団の傷害罪は尽くこれを免ずること」、「自警団の殺人罪は尽く異例の恩典に浴せしめて採決すること」など自警団の罪を免責することを「決議」しています。
実際に裁判でも被告人らは「当時は秩序が紊(みだ)れていましたから、国家のためと思いまして」(浦和地裁)、「一太刀浴びせて殺したが、国家を思うためにやったのだ」(千葉地裁)と述べています。虐殺をした民衆責任を民衆自らが向き合うことはありませんでした。