Q4-2. 関東大震災時の朝鮮人虐殺から何を問われなければならないのでしょうか?
A.日本の近現代の歴史、そして今日の日本社会を考える上でも関東大震災・朝鮮人虐殺は重要な意味を持ちます。虐殺から40年に際して発刊された、朝鮮大学校編『関東大震災における朝鮮人虐殺の真相と実態』(1963年)は、次のように指摘しています(15頁)。
「政府の政治的自由の全面的弾圧と人権蹂りん政策にたいして何らの抗議すらも行わず、少数の良心的代議士を除いては政府の責任追及はおろか、むしろ治安維持令の承諾を与え、治安維持法公布への道を許した。…日本の多くの学者、文化人は帝国主義の民族排外政策にたいしてその本質を究明することができず、…それは支配階級の植民地主義や民族排外政策に協調する結果となった。…このような弱さがファシズムの侵略戦争に抵抗できず、かえってそれにまきこまれた結果となった」
日本の人々は朝鮮人を虐殺し、植民地主義や民族差別・迫害に協調し続け、その思想に十分に対抗しえないまま、1930年代以降の中国侵略、アジア太平洋戦争に突入していったのです。こうした背景の下、1930年代以降、中国東北部を中心に展開された抗日運動に対しても徹底的な弾圧が行われ、抗日軍に加え朝鮮人集住区に対する虐殺も行いました。自らの生存や生活、権利を守ろうとした多くの朝鮮人らは殺されていったのでした。
解放後もこれは変わっていません。1948年には民族教育弾圧に抗議する闘いの過程で、警官の暴行や銃撃によって在日朝鮮人が殺されます。また今日に至るまで、「おまえ、朝高生か、朝高生など殺してやる」などとして朝鮮学校の学生らが暴行・殺傷される事件は繰り返し起きてきました。実際にこうした事件を目撃した在日朝鮮人は、「朝鮮人はおちおち道も歩けない。自分はかの関東大震災の恐怖が、再びやってきたようで、背すじの寒くなる思いをおさえきれない」と証言を残しています(在日朝鮮人の人権を守る会編『在日朝鮮人の基本的人権』、358-360頁)。
私たちは、関東大震災・朝鮮人虐殺を通じて、他民族に対する侵略・支配・迫害の歴史・現在と向き合わなければなりません。