Q3-3. 虐殺について、抗議や責任追及の動きはなかったのですか?
A.朝鮮人虐殺事件後、在日朝鮮人や虐殺に抗議する日本人労働者、知識人たちによって、抗議活動や朝鮮人犠牲者追悼の運動が日本各地で展開されました。
たとえば、在日朝鮮人の社会主義者らで結成された「北星会」は1923年11月末には、①政府に虐殺の真相発表を求めること、②虐殺への抗議を提出し、遺族の生活権保障を要求すること、③朝鮮及び日本の主要都市において演説会を開催し檄文を配ることなどを決議しました。
在日朝鮮人らは虐殺の再来を彷彿させる民族差別・迫害が続くなかで日本の社会主義団体、労働団体などと提携しつつ、官憲の厳しい監視と弾圧のなかでも粘り強く真相究明、責任追及のための活動を続けました。1924年9月13日に開催された追悼会では、参加者らが「私共は何等かの手段で復讐せねばならぬ」、「千枚や二千枚の追悼文で何の効果があるか。吾は同胞の霊に答えるような事をやろうではないか」などと叫び、数百名規模の警官隊に中止させられるといった事件もありました。
しかし、1930年代頃からさらなる厳しい弾圧により、朝鮮人団体のこうした活動は壊滅状態になりました。戦前の日本は徹底的に朝鮮人虐殺の事実隠蔽を行おうと画策し、様々な抗議活動を潰したのでした。こうして朝鮮人らの責任追及、真相究明活動は解放後に引き継がれていくことになりました。