Q3-2. 犠牲者や虐殺の実態に対する調査はどのように始められたのですか?
A.朝鮮人虐殺の後、朝鮮人らは虐殺の実態調査を始めました。朝鮮留学生らは1923年10月上旬に「在日本関東地方罹災同胞慰問班」を組織し、調査委員らはしらみつぶしに関東一体を調査しました。そして、調査結果は1923年12月5日付『独立新聞』に報じられ、地域ごとの詳細と共に、その総数は6661名と伝えられました。
その報告書によると、死体を発見できなかった人数は3240名にも達しました。犠牲者の半分は死体さえもみつけることができなかったのです。国家責任を否定しようとする官憲による死体の隠蔽工作と調査活動、真相究明に対する厳しい取り締まりがあったからです。
「同胞慰問班」はそれを「屍体さえも探せなかった同胞」と表現しました。この一言のなかには、迫害され、殺され、存在さえ消された朝鮮人の痛みや苦しみ、悲しみが凝縮されていました。
朝鮮本国でも「在京日本留学生会」(9月4日)、「在東京罹災朝鮮人臨時救済会」(9月8日)などが作られ、救援と調査のための動きが生まれます。一方、朝鮮人にとっていつ殺されるかわからない状況であったため、虐殺から生き延びた多くの朝鮮人は朝鮮への帰還を余儀なくされました。1923年9月から帰還者は急激に増加し、12月までの4か月の間に約4万人が朝鮮へ帰還しました。