Q1-2. 虐殺は自警団が勝手に行ったことではないのですか?
A.デマの発生後、日本政府は朝鮮人暴動の事実がないにもかかわらず、「戦時若しくは事変に際し」出される非常法として戒厳令をすぐさま布告しました。軍隊は近衛師団・第一師団をはじめ、仙台、宇都宮など他の師団からも東京に出兵しました。戒厳令下の軍隊は、多くの朝鮮人を殺しました。
内務省は海軍東京無線電信所船橋送電所から各地方長官宛に、「朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内に於て爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり」とデマが事実であるかのように断定し、「鮮人の行動に対して厳密なる取締」を指示しました。
警察官も「各町で不平鮮人が殺人放火して居るから気をつけろ」(『報知新聞』1923年10月28日付夕刊)、「朝鮮人を殺しても差し支えない」(『東京日日新聞』同10月22日付夕刊)などとデマを流布し、虐殺を拡げていきました。
こうしたなか、日本人民衆は官憲が朝鮮人虐殺を公認したと考え、虐殺を繰り広げていきました。日本政府、官憲の指示や行動は民衆に対して「天下晴れての人殺し」としての意味を持たせたのでした。